ホレ薬の名前は「シルクニュアンス」といいます。
シルクのような肌触りという点では・・ ティッシュペーパーでいえば鼻セレブみたいなものだし。触れた瞬間に「触れたことに気づかせない」というところがポイントなのかもしれません。
なんだか意味深で計算高いイメージを持たれるかもしれませんが。あくまで自然でナチュラルに物語が進行していくのですから「心の肌触り」は心地よいものが残ります。
あくまで何気ない会話の中で感じてしまう「シルク」のようなニュアンスなので。あえてネーミングさせてもらった言葉が「シルクニュアンス」だったのです。
「シルクニュアンス」は言葉だけに限りません。行動力としてもシルクのようなニュアンスで受け取ってもらえるものですから。かつて味わったことがない高級感を感じてもらうことができます。
いまあなたは「高級感」という言葉に違和感を覚えたかもしれません。その感覚は正解です。なぜなら高級感という言葉の中には多少たりともエゴや見栄など『虚像をイメージしたもの』が残りやすいからです。
ここで示している高級感とは虚像ではありません。いわば【最高のサービス】に近いシルク系のニュアンスです。なんてったって『肌触り』が圧倒的に他とは違って心地いいんですね。
【最高のサービス】がわからない方は最高のサービスを提供してくる場所へぜひ一度足を運んでみてください。近いところでいえばディズニーランドもそうですし、レストランでいえばカシータみたいなところだと思ってくださって構いません。
高価なお金を支払い高いサービスが提供される。それがビジネス社会の原理からくるものだとすれば【最高のサービス】に最高額を支払うのはしごく当然のことかもしれませんね。
では、一般的な人間社会においてはどうでしょうか?
友達になるのに高額なお金は必要ありませんよね。まったく必要ありません。その代わり「一緒にいるとなぜか心地よい」と感じる人達と触れ合っていきます。これは事実ですよね。
これら人間関係コミュニケーション・スキルは能力が高ければ高いほど一緒にいて心地よく感じるものです。ですが、スキルは故意に意図したものではないことも事実です。
よく「贅沢な時間」と表現されることもありますが、これとよく似たことを説明しているのです。
贅沢 = 豪華 = 高価 = →【最高のサービス】
唯物論で語られてきた「物」ではなく、サービスという目に見えない形態で提供されているもの。これらを総称して「サービス」と表現する時代はもうすぐ終わりがくると思います。
その代わり生まれてきたスピリチュアル系の言葉の数々が最近は特に目につきますよね。要は「サービス」という言葉から連想させるイメージが言葉の限界にきているんですね。今という時代はそういう時間なのかもしれません。
●「シルクニュアンス」は教養です
(1)あくまで自然でナチュラル
意図したことが仮にあったとしてもなかったとしても。さりげない、ふとした際に見せる心地よい配慮を示せるかどうかが重要キーになってくるわけです。
やろうと思って故意に意図してやっていたとしたら・・ 必ず不自然な「流れ」が起きていきますから簡単に見破られてしまうことでしょう。
あくまで自然でナチュラルに流れていくためには「意図」しないことが逆ポイントになっていったりするわけです。
そのためには「シルクニュアンス」を自分の中に【入れ込む】必要があるんです。そのために必要なキーワードとなる言葉が「ここ色」なんですね。
何気ない日常生活の中で無理やり意識していてもいつか忘れてしまいます。難しい論理が実践不可である理由がわかりますよね?
「シルクニュアンス」を自分の中に【落とし込んで】みてください。いたって普通に「できてしまう次元」までもっていってこそ・・・ 伝えようとヘンな努力をする前に「伝わる」ようになりますから。
(2)「高級感」という贅沢
あなただけのために提供されたサービスがあったとしたら嬉しくなりませんか?
本来、サービスという名の元に行われる商業ビジネスは高級感溢れるものだったのでしょう。それは今という時代だけを見ていたらわからないことなのかもしれません。
では、時代を歴史や諸外国に向けてみてはいかがでしょうか?
「高級感」という贅沢はサービスを超えたところで「感じる」ものなんですね。ある意味、複利計算に近いものなのかもしれません。
どういうことかというと、贅沢1に対して与えられるものが1.1だとすれば贅沢100に対して1.5以上になっている状態のことなんです。
歴史でいえば貧富の差を士農工商と表した時代もあるわけですが、やり過ぎると一揆に発展したこともあるわけです。格差をお金という指標だけであげつらうと必ず反発されてきた時代背景があったわけです。
さらに諸外国へ目を向けると。ニュースで「乗客に日本人はいませんでした」と報じられる度に違和感を感じない人達も多くいるわけです。逆に、違和感を感じまくる日本人も多く存在します。
ですから、「高級感」という贅沢は自分なりの価値を「どこに置くか」という問題なんですね。いいとか悪いとか善悪で判断して、上辺で語り合うものではありませんし。基軸がしっかりと自分に根ざしていないと語れない問題なのかもしれません。
(3)「シルクニュアンス」は教養という意味合い
【最高のサービス】を提供されたら誰もが嬉しくなります。個別対応され、適宜心のこもった配慮をされたとしたら嬉しさは倍増していきます。
ですが、日常を考えてみれば「どうでもいいこと」ばかりが溢れ、自分さえよければ「そんなの関係ねー!」とばかりに【壁を作っていくシーン】と出会うことが多いのも事実です。
殺人事件のニュースを見ながらおいしい食事ができますか? 人が殺された背景の報道を見ながら楽しく食事できる感性が素敵で豊かだと思えますか?
もちろんその背景にあった様々なことを知っておきたい欲もあることでしょう。ならば、時間をかえて知ることもできるわけです。
自らが選ぶ【壁を作っていくシーン】はこのような感性レベル(=精神レベル)における自分なりの立ち居地からも大きく影響を受けているわけです。
「シルクニュアンス」が教養であると諭している意味は“ニュアンス”が目に見えない感性レベルのものだからです。養い、自分の目やハートで感じてこそ改めて理解できる世界があるからです。
だからこそ感じたり、受け取れる世界は「教養」なんですね。
さりげない配慮を示すことができる人もいれば。自分のことばかりで精一杯で余裕のない人もいます。それがいい悪いとか評価している次元を超えてもらいたいのです。
それが「ここ色」という・・ あなたでしか出せない「あなたならではの色」に繋がっていくんですね。
変幻自在の個体である「心という意思」は無限の可能性を秘めています。無限だからこそ学び養っていけるものです。
さりげない肌触りを感じた瞬間・・ 恋愛感情よりも前に大切な感性に気づくはずです。その人のことを人間的にホレてしまった「シルクニュアンス」の存在が「ここ色」の中にあることを・・・☆
いつの日か「知る機会」と出会うことになるのでしょう。(にこっ)

written by Shingoris Kamioka